ミュージカル映画

ミュージカル映画は苦手。「雨に唄えば」は面白く見た。しかし世人に評判の「ウエストサイド物語」やら「ショウほど素敵な商売はない」「巴里のアメリカ人」なんかは退屈で退屈でたまらなかった。

第一に、街中で突然伴奏が流れ出して登場人物が歌って踊りだすってのがついてゆけない。その伴奏はどっから聞こえてくるんだ!街行く人々は、なぜ平然と歩いているんだ!などとツッコミを入れたくなる。

映画なんだからエンターテイメントなんだから、非日常として楽しめばいいんだろうけど。どうしてもリアリズムを追求してしまう。

恋人が死んだ晩に何で歌って踊ってんだよ!とか。

 

 

 

働き方改革

たとえどんなに嫌いな相手でも良い面は認めてあげようというのが自分のスタンス。やることなすこと全部否定されたら、人間、開き直っちゃって。それじゃますます話はこじれ、まとまるものもまとまらないもの。是々非々って口では言いながら、結局は批判のための批判ばっかりという人もいっぱいいますけどね。

で、安倍晋三さんです。あの方の考え方、やってきたこと、これからやろうとしてること、ことごとく嫌い。でも「働き方改革」って言葉を浸透させたことには感謝。なぜなら我が職場、それでだいぶ早く帰れるようになった。早く帰る方向で皆が動くようになった。前は早く帰る派の人は少数で、早く帰る動きをしても多勢に無勢のところがあったが。以前はなるべく長く職場にいたい派だった人が、気づいたらミーティングで「さらに残業を減らすには」なんて発言してる。

意識がそう変わったってことは「働き方改革」という言葉の力が大きく作用したと思われ、その点では安倍晋三さんを評価したいと思うのです。

他は、大嫌いだけどね。

百均

ボクも好きだから、よく利用します。それを前提に物申します。百均。

百円だからって軽く考えてないでしょか、世の人びと。粗悪なものでも、すぐに飽きて使わなくなっても、百円なんだから「まぁいいか」な風潮。そんなに吟味せずに買ってしまう風潮。

自分もそうです。だから自戒も込めて。物を大事にする道理に反してる。精神衛生上よくない。こういう文化は、いつかしっぺ返しを食らう。

禁じられた遊び

李くんというのは友人の友人のそのまた友人ぐらいの人で、韓国から日本へ料理の勉強をしに来ているんだった。一緒に飲んでいて、音楽の話になった。

来日するくらいだから親日家で、母国にいたころから日本の歌が好きだった。ところが彼の青春時代は、法律で日本語禁止。歌に限らず、文学も映画も芝居も、とにかく日本語を使ってもいけないし、日本語のものに触れてもいけない(いまはその法律は廃止されています)。

日本の音楽が好きになってしまった李くん、その罪悪感はちょっとやそっとのことじゃなかった。聴いちゃいけない、聴いたら犯罪者だ、でも好きだから聴かずにはいられない……。

そんな状況下で好きな日本人ミュージシャンの音源を手に入れるには、闇のルートしかなかった。蛇の道は蛇、そういうルートがあったのだ。そして友人どうし、それを交換する。

学校バレしたら即退学だから、慎重の上にも慎重を期した。体育館の裏なんかて実行したという。麻薬の密売みたいに。

さて、そこまでして、いわば命がけで入手して聴いていた日本のミュージシャンって誰だったんだろう。タイマーズ村八分?頭腦警察?アナーキー?そんな反体制的なバンドを想像していたら、李くん曰く、

チャゲアスチャゲアス大好きでした」

……。

今や違う意味でヤバいけど、チャゲアス

ウィスキーと口…

あるCDに「ウィスキーと口笛」って曲が入ってて。学校に上がるか上がんないかのころの娘が、ジャケットのそのタイトルを見て、カタカナとひらがなは保育園で覚えてたから「ウィスキーと……」までは読めて。で、『口笛』の『口』はカタカナの『ロ』に見えたんだろう。「ウィスキーとロ……」しばし考え「……マンチック」

 

ウィスキーとロマンチック

 

子供は、みんな詩人。

ありがたや水産

千手観音は正式には千手千眼観世音菩薩といい、あの千の手の一つひとつに眼が付いている。経典には、観音菩薩があらゆる衆生を救済することを誓ったとき、如来から千手千眼を授けられたとあるそう。ちなみに菩薩とは如来になるために修行をしてる人。悟りを開くと如来になれる。#今朝のありがたいうんちく

コミュ力

先だって、とある宴の席で見かけた女の人。周りはほとんど初対面ばかりのはずなのに、ものおじせずに話しかけてコミュニケーションをはかり、かつわざとらしさやあざとさがなくごく自然で、必要とあらば即行動に出て、常に(くどいようだが、ごく自然でわざとらしくない)笑顔を絶やさない。あんな人が、真っ当で幸せな人生を歩むんだろうなあ。ああいう人に私はなりたい、と書きたいところだが、なれないのはわかっている。だからせめて足元ぐらいには近づきたい。