髪もひげも伸びて乱れて

むかし、永六輔のラジオで聞いた話。
ナターシャセブンのバンジョーのひとが歩いて帰宅する途中(京都在住)、町中でアメリカ白人のヒッピーと知り合った。
そして野宿しようとする彼を無理やり家に連れ帰り、泊めてやった。

翌朝、めしを食っているとき。
旅人がリビングに置いてあったバンジョーに気づき、是非とも演奏してくれと要望した。
聴きながら、カントリーの本場の人が感動でボロボロ涙をこぼしたそうである。

ひとしきり泣いたあと、「お前はアメリカで演奏する気はないのか」と訊いた。
「そういう気持ちはあるが、金がないから無理だ」とバンジョー弾きが答えると、旅人は鞄から小切手を取り出した。
「これに、好きなだけの金額を書け」

ボロボロの服にボサボサの髪、伸び放題の髭。
どこからどう見ても浮浪者にしか見えない旅人。
実は1年間のバカンスで世界を旅する、IBMの重役だったのだというお話。

畜産農家の前

子供の頃の、遠い遠い遠い夏の日。
いとこと歩いて遊びに行く途中、ある酪農農家の前を通ったら。
牛舎から脱走してきた牛が一頭、こちらに角を向けて迫ってきた。

我々は一目散に、図ったわけではないが(そんな余裕すらなかったけど)それぞれ別々の方角に走り出し。
それが功を奏したか、無事に逃げ切った。
暑い暑い夏の日、遠い遠い夏の日。

畜産農家の前

子供の頃の、遠い遠い遠い夏の日。

いとこと歩いて遊びに行く途中、ある畜産農家の前を通ったら。

牛舎から脱走してきた牛が一頭、こちらに角を向けて迫ってきた。

我々は一目散に、図ったわけではないが(そんな余裕すらなかったけど)それぞれ別々の方角に走り出し。

それが功を奏したか、無事に逃げ切った。

暑い暑い夏の日、遠い遠い夏の日。

知らない方がいい事実

知らなかったころには全く気にならなかったのに、なまじ知ってしまったばかりに気になって仕方ないこと。

たとえば、イヤホンに右左があるということ。

知らなかったころは、どっちがどっちでも全然気にならなかったが。

知らなきゃ知らないで違和感もなく使っていたくせに、微妙な音の違いなんてわからないくせに。

中途半端な情報に縛られて不自由になる、そんな例は他にもいっぱいある。

知るということは、果たして無条件に人を幸せにするのだろうか。

少しだけ滲んだアドレス

ラジオで「あの日にかえりたい/ユーミン」が、かかった。
実は歌詞に前から気になっていたところがあり、それを頭に置きながら聴いたのだが。
今回も、疑問は解決しなかった。

なので今回はそのことについて書き、皆々さまの解釈を求めたい次第。
全歌詞の内容は、ネットなどで検索していただくとして(引用するとJASRACサマが怖いので)。
大ざっぱに言えば、恋に破れた女性が男の元を去ってゆく(直接別れは告げないっぽい)話だが。

で、自分が気になるのはラスト近くの『少しだけ滲んだアドレス 扉に挟んで 帰るわ あの日に』の部分。
『アドレス(住所)』を『扉に挟』むって、どうゆーこと?
なんかの比喩?だとしたら何の?

『少しだけ滲んだ』のは、涙のせいで異論のないところだろう。
その流れでいくと『アドレス』は、別れる相手のものに違いない。
それをなぜ、『扉に挟』むのか。

そもそも『アドレス』って、アドレス帳?メモ用紙か何んかに書いたもの?
この楽曲、1975年リリース。
その当時、『アドレス』って言葉は既に日本人の中に定着していたのだろうか。

主人公が、物凄く未練がましいヤツだった場合。
自分の転居先(今までは一緒に暮らしていた)を
記した紙に「よかったら、連絡して」と添え書きして……ってパターンも考えられるが。
どうも、そこまで女々しくはない感じがする。

こんな解釈は、どうだ?
知り合ったころに「これ、俺の住所だから。よかったら、遊びに来て」なんて感じでメモを渡された。
電話番号じゃなくて住所なのは、当時よほどの金持ちでもない限りは個人で電話なんて引いてなかったから。

主人公は、それを宝物のように大事にとっておき。
恋がうまくいかなくてつらいときには取り出して、涙で濡らしながら見つめ。
だが今、別れるにあたってそれを……。

果たして、皆々さまのご解釈は?
ぜひ、ご高説を伺わせてください。
ユーミンさまご自身のコメントも、大歓迎。

眠り

うとうと寝落ちしそうな時、よく見る夢。
車を運転していて、いきなりブレーキが効かなくなる夢。
しかも、山下りで急カーブの連続。

ハンドル操作で何とか乗り切るうち、目が覚める。
車を運転するようになってから、見始めた。
40年近く見ている計算になるが、未だ慣れない。

近所に、Nさんという家がある。
「寝落ちしそうなときの夢に、いつもNさんちのオバさんが出てくる。Nさんちのオバさんが出てくると、私はもうすぐ眠るんだなぁって毎晩思う」
子供のころ、妹が言ってた。

眠りに落ちるための儀式といえば、かつて私の場合は相撲だった。
自分の分身たる一人の力士がいて、彼が入門してから苦労の末にやがて横綱になる。
その長い長い物語を、寝る前の布団の中で妄想していた時期があるのだ。

それをしているうちに、いつの間にか眠っている。
何年かかけて、話は引退の場所の千秋楽まで進み。
結びの一番で、好敵手たる東の横綱と対戦するのだが。

そのころになると条件反射の効果が著しく、時間前の仕切りのうちに眠ってしまう。
かつての「アストロ球団」のような、遅々とした展開。
おかげで、布団に入ってもなかなか寝付けないという悩みとは無縁だったが。

ただ、いいことの裏には悪いことも潜んでいて。
テレビの相撲中継を見ていると、必ず途中で寝てしまう。
眠りという、摩訶不思議な世界。

絵が見える

「セットの案がすぐ決まる曲は必ず売れた」
と、秋元康氏がラジオで言っていた。
氏は、「ザ・ベストテン」の構成をやっていたのだが。
どういうセットでいくかの、作家や美術も含めた全スタッフによる打ち合わせ会議があり。

そこで、方針がすぐ決まる曲。
そういう曲はヒットするというジンクスがあったそう。
「一度聞いてすぐ絵の浮かぶ曲は強いということだろう」とのことだった。

これ、納得。
いい曲は、映画みたいに場面が浮かぶ。
かつて作詞家の喜多條忠氏も「売れる曲の条件は『色』と『音』と『温度』が伝わることだ」と語っていたが。

氏の代表作「神田川」でいえば『赤い手ぬぐい』『小さな石鹸カタカタ鳴った』『冷たいねって言ったのよ』が、それぞれ色と音と温度を表す。
これも、「聞いてすぐ絵が浮かぶ」ということに繋がるだろう。
すぐ絵が浮かぶと相手に伝わり易いし、記憶に残る。

曲に限らず、文章でも話でも。
そういう表現が出来る人になりたい、言葉の感覚を磨きたい。
常々、自らに言い聞かせている次第である。