レコードを買うということ

貸しレコード屋というものが世に現れたのは、二十歳ぐらいのころだった。

世に現れたといっても、自分が住んでいた田舎には殆どまだ出店されていない。

レコードは買うものという意識のまま、我々は大人になった(たぶん最後の世代)。

自分の意志で、自分の金でレコードを買い始めたころ。

LPが2500円、シングルが500円。

一か月の小遣いが、3000円ぐらい?

レコードを買うのは、大冒険だった。

LPを買うと、その月は殆ど小遣い無しで過ごさねばならぬ。

いくら欲しくても、それはちょっと出来ない相談だった。

買えるのは、お年玉などの臨時収入があったとき。

高校生になってからは、バイトをしたときも加わったが。

いずれにせよ、しょっちゅう買えるものじゃない。

買うときは、大げさでなく命がけだった。

ラジオや雑誌、口コミなどで事前に情報収集し。

当日はレコード屋の棚を一枚一枚、吟味。

選ぶのに、小一時間はかけたなぁ。

そうやって選んだ一枚はその後数ヶ月間、毎日のように聴く。

まさに、宝物だった。

家に帰ってきて袋を開け、取り出したレコードに針を置く。

あの至福の瞬間を、未だありありと思い出せるよ。

塩化ビニールの、独特の匂いと共に。

トラックドライバー

関東自動車道、酒々井パーキングエリア内牛丼屋。
斜向かいに、トラックの運ちゃんぽい人が座ってて。
定食を食いながら、電話している。

漏れ聞こえてくる内容を、聞くともなく聞いていると。
電話の向こうの相手に、道を教えている模様。
千葉のどっかから、会津への行き方。

真夜中に走行するらしく、だったら下道でも空いてるからと。
夜中なら、余裕で100キロぐらいで走れる(良い子は真似してはいけません)ルートがあるからと。
延々と、15分ほどかけて。

〇〇分ぐらい走るとパチンコ屋があるから、次の次の信号を左。
曲がったらすぐセブンがあるから、その先をまた左。
まるで目の前に映像があるかの如く、曲がるところの目印まで事細かに。

方向音痴の自分は感動しつつ、ただただ聞き入ってた。
電話の相手が、果たして全て把握できたかなどと余計な心配までしつつ。
ホント、どの世界でもプロって凄い。

父の戦争体験

亡き父は、昭和二年生まれだった。
一年上の人は兵隊に行き、三年ぐらい下の人は学童疎開
昭和二年生まれというのはその狭間の、徴兵になるかならないかの境目だったらしい。

空襲を体験してる人が多いのも、昭和二年生まれの特徴のようだ。
上の人は戦地、下は疎開先にいた。
だから、空襲体験者は意外と少ない理屈だ。

もっともその頃、父がどこで何をしていたかは殆ど知らない。
当時のことを、全くといっていいくらい語らなかったからである。
空襲自体は体験したようだから(断片的には話してくれた)、思い出したくもない経験だったのだろうと推察する。

語ってくれた数少ない空襲体験は、主に二つだった。
一つ目は「さっきまで隣にいて普通に会話していた人が、次の瞬間死んでいた」。
もう一つは「あまりに激しい恐怖に直面した時、本当に全身の毛が逆立つ」。

それ以外のことは、殆ど黙して語らなかった。
聞き出しておけば良かったという気もするし、心の中に閉じ込めておいたままで良かったのかもとも思う。
そういった、語られぬまま消えていった戦争体験もたくさんあるんだろうな。

ケータイを持たない最後の日本人

世に携帯電話がだいぶ普及してきた2000年ごろ、自分はまだ持っていなかった。
類は友を呼ぶというが、周りもアナログ人間ばかり。
なきゃないで、あのころはまだフツーに生きていけたのだ。

そんなある夜、某女友達と呑んでいた。
話題はいつしか、携帯電話のことに。
将来的にも自分には必要ないものと思っていたから、彼女に向かって高らかに宣言した。

「俺は、ケータイを持たない最後の日本人になるんだ!」
すると彼女は、こう応えた。
「無理だね。だってアタシがいるから」

その直後、彼女は遠くへ引っ越した。
いまは、年賀状とかのやり取りがあるのみだ。
だから、彼女がいまケータイを持っているか否かはわからない。

一方自分は、この投稿もケータイからしている。
彼女に会ったとき、いったいどう言い訳しようか。
ケータイを持ち始めてから、ずっと考えていることだ。

M先生

家人が夜中に急に具合が悪くなり、救急病院へ。
待合室で待っていると、当直医が診察室から顔を出した。
その顔を見てびっくりしたのは、先だって筆者が入院した際の担当医・M先生だったからである。

入院したのは手術を受けるためだったから、M先生は外科医である。
外科医でも夜間救急外来の当直医をやるのか!というのが最初の驚き。
そして家人の診察をてきぱきとこなす様に、さらなる驚き。

家人の不具合は、皮膚科の分野が原因だった。
消化器系の外科医であるM先生には専門外では?と、素人考えで思ったが。
されど、きっぱり「蜂窩織炎」と判断を下す。

しかも、解説図付きでメモ用紙に書いた「蜂窩織炎」の文字。
あんな難しい字を、すらすらと。
その後の、素人にも分かりやすい病状の説明。

それにしてもM先生、あなたはいつ寝ているのですか?
入院中は日曜以外はほぼ毎朝夕2回、回診にきてくれました。
外科医としての執刀、一般外来の診察、さらには夜勤もこなしていたなんて。

たまにいる恐らくごく一部の悪徳な輩のために悪いイメージを持たれたりしがちですが、こんな立派な医師もいる。
もちろんそっちの方が、圧倒的に多いはず。
このような立派な方に担当して貰えて、自分はかなり患者運がいいと改めて実感した次第でございます。

だれだ

小6のときのクラス会で、マイクロバスによる送迎があった。
発着地である近くの駅へ行くと、既にバスは来ていた。
何人かは、もう乗り込んでいる。

小6のときのクラスメイトはまとまりがあり、もう何度か集まっている。
ただ前回は自分は参加できず、ほとんどのメンバーとは15年ぶりぐらいの再会だった。
他人のことは言えないが、皆なかなかに老けており。

顔を見た一瞬は「⁈」だが、それでも次の瞬間にはタイムマシンに乗ったように記憶は時空を遡り。
あぁ〇〇だぁ〜と、相手を認識できる。
たいていは、ほとんどは。

がしかし、何事にも例外はあり。
ひとりだけ、どうしてもわからなかった人が。
その人は、自分の後ろの席に座していたのだけれど。

乗り込むときに向こうから挨拶され。
一瞬、誰か全くわからず、次に先生か?と思い、でも先生とは似ても似つかぬ面影。
暫し考えたのち、用務員のおじさんととりあえずの結論(後から冷静に考えたら、用務員さんが来るわけないんだけど)。

バスは、小一時間ほど走行。
その間ずっと、隣席となった女子たちと近況を語らいつつも、ずっとずっと後ろの席を紳士が誰か気になって気になって。
かつてのクラスメイトたちの顔を一人ひとり思い浮かべては、アイツじゃないコイツでもないとやってるうちにハッと思い出した。
会場に着く前に思い出せて良かった。
飲み始めてからの会話がスムーズにいけた。

で、ふと考えたのだが。
同じような状況で、最後まで思い出せぬヤツがひとりおり。
三次会あたりで気心知れたメンバーばかりになったとき。
「あの、先生の隣の隣に座ってた人って誰だっけ?」
「あっ、お前もわからなかった?俺も、ずっと考えてたんだけど……」
って展開になり、実はその場にいた全員が出せ誰だか思い出せなかったという、ホントにクラスメイトだったのか?あんなヤツいなかったんじゃないか?じゃ、何のために来たんだ……
っていう、ちょっとホラーなストーリー。

同じような状況から、浦沢直樹氏は「20世紀少年」のアイデアを思いついたらしいけど。

真夜中の電話

夜中の電話に知り合いのA氏が飛び起きて出ると、むかし職場でバイトしていた若者。

バンドをやってるとかで、そういう境遇のヤツのお約束のコミュ障で周りとは打ち解けず。

でも何となくA氏はウマが合い、アレコレと目をかけてやったのだった。

しばらくしてフェイドアウトっぽく辞めてしまい、その後は音信不通だったのだが。

一年ぶりぐらいに、その晩、電話がかかってきたのだ。

しかも、夜中の2時に。

完全に目の覚めきらぬA氏に対し、テンションが上がっているらしい相手は一方的に喋り続ける。

「寝てました?寝てましたよね。でもさっき突然、Aさんのこと思い出して。俺バカだから明日になると忘れちゃうから、迷惑かと思ったけどかけちゃいました。すいません。じつは今、東京にいまして、あの会社やめてからこっちに来て、デビュー決まって、明日の夜、テレビに出るんスよ。Aさんにだけは見てもらいたいなって思って。ミュージックステーションって番組で、タモリが司会で、夜8時からなんで、良かったら見てください」

最後まで完全には覚醒しなかったけど、とりあえず「おめでとう」は言って、翌日はずっと、あれは夢だったのか、でも妙にリアルに覚えてるから現実だよな、なんて考えつつ過ごし、早めに帰宅してテレビをつけた。

ほどなく番組は始まったが、そこでハタと気づい

た。

バンドの名前がわからない。

夕べは半分寝てたから、そこまで気が回らなかった。

知り合ったころ聞いた覚えがあるけど、横文字の難しい名前で覚えきれなかった。

でもまぁ、画面に出てくればわかるだろう。

ヤツはドラムだって言ってたけど、ヴォーカルやギターほどじゃなくても、ちょっとぐらいは映るはず。

悪いけど、一年のブランクで、今ははっきり顔が思い浮かばない。

でも、見ればわかる。……はずだ。

しかし。

その日、それらしきバンドは2組出た。

近々デビューの、期待される2バンドという触れ込みで。

そしてどっちも、当時流行っていたビジュアル系というやつだった。

どっちのメンバーも全員、メイクしていた。

目を凝らして見ていたけど、結局わからなかったという。