コミュ力
先だって、とある宴の席で見かけた女の人。周りはほとんど初対面ばかりのはずなのに、ものおじせずに話しかけてコミュニケーションをはかり、かつわざとらしさやあざとさがなくごく自然で、必要とあらば即行動に出て、常に(くどいようだが、ごく自然でわざとらしくない)笑顔を絶やさない。あんな人が、真っ当で幸せな人生を歩むんだろうなあ。ああいう人に私はなりたい、と書きたいところだが、なれないのはわかっている。だからせめて足元ぐらいには近づきたい。
幸せの瞬間
目が覚めたら3時で、あと何時間寝られるか逆算するうち、あっ、今日は日曜だ!って気づいたとき #幸せな瞬間 #日曜日が始まる
何もしなかった日
久々に何もしなかった、とある日曜日。一日中、ネットやってた。ふだん気になっていながらずっとそのままだったこと、言い換えれば、知らなきゃ知らないで生きていけることなんかを敢えて調べ。そこで浮かんだ新たな疑問をさらに調べ。たとえば「フエキ糊」の「フエキ」って何だ?とか、江夏豊は何故つくばに住んでいるのか?とか、そういったことなどなど。
そういえば小さいころ、意味もなく百科事典をめくるの好きだったなぁなんてこと思い出しながら、そんなふうにして一日はあっという間に過ぎていった。
さてそんな過ごし方をしてしまうと精神的にも肉体的にも悪しき影響が現れてくるものだが、たしかに夜寝るとき「何もできずに終わってゆくよサイバサイバサイバ サイバサイバサイバ 今日だって犬の散歩しかしてない サイバサイバサイバ サイバサイバサイバ」と口ずさんだが、しかし翌月曜日、心身ともにすこぶる好調、身は軽いし良きアイデアは次々浮かぶし。何もしない日の効用を改めて思い知った初夏のひと日であったのであった。
万博と光線銃SP
子どものころから物欲は強い方じゃなかったけど、(大阪)万博と光線銃SPには憧れた。万博行きたかったなぁ。光線銃SPほしかったなぁ。
大阪遠かったから、万博行けたの、学年で一人だった。学年で、だよ。クラスで、じゃないよ。まだまだ、日本は貧しかったのだ。学年で一人だけ行ったのは、ガソリンスタンドの息子だった。車が普及し始めて景気上り調子だったんだろうな、ガソリンスタンド。しかも、新幹線で行ったんだよ。憧れのセット、新幹線で万博。
光線銃SPは、通学路の途中の洋風の家の応接間にあった。クーラーが普及してなかったから、どこの家も、夏は窓全開にしてたんだ。道からも、家の中の様子が伺えた。
知ってる範囲で光線銃SP家はあそこだけだったが、大人になって付き合い始めた某氏の家にもあったと知った。金持ちだったらしいからな、某氏の家。
そしてうちの相方。なんと万博行ったらしい。すげーお嬢さまじゃん!ガソリンスタンド並みに景気よかったのか?焼き物屋。
シンバルボーイ
娘が保育園に通っていたときの、園の音楽発表会。
あるクラスの合奏でシンバル担当だった男児。各コーラスの最後にジャーンと鳴らすだけ、3コーラスの曲だったから出番は計3回しかなかったんだけど。たぶん音楽的才能に著しく欠ける子だったんだろう、どのタイミングで叩けばいいのか自分では全く把握できぬ様相。
指揮をしていたのが担任の先生で、我々客席の側に背を向けているので顔は見えないのだけど「先生が〇〇くんの方を見たら叩くのよ」的約束事があったものと思われ、彼は演奏が始まる前から先生の顔を一点凝視。その見つめる様、世にも稀なる真剣さ。
悲しいかな努力の甲斐なく、緊張のせいもあったんだろう、叩くタイミングは完全にズレてしまって音楽的には大失敗だったのだけれど、彼の全身全霊な姿は我が心をしかととらえ。30年近くたった今でも、ありありと思い浮かぶのである。
サバイバルうんちく
野外で雷に遭遇したときに最も安全なのは、車の中と送電線の下
ヒデキ論
あんなに衝撃を受けるとは、自分でも意外だった。ヒデキの訃報に接した5月17日の昼前。脳梗塞を二度患い、リハビリしながらステージに立ちつづけているのは知っていた。けど、死んじゃうとは。まだ、62歳だったのに。
男のアイドルだったから、表立っては言わなかったけとど、中学生のころ好きだった。「ちぎれた愛」「薔薇の鎖」「ローラ」の辺り。
「薔薇」の、スタンドマイクを使ってのステージング。後にロッドスチュワートあたりの本家本元の芸を見ても、そんなに驚かなかった。何しろ、ヒデキがテレビで毎晩のようにやってるのを見てたんだから。
他にも、ハンドマイクの使い方とか全身を使ったアクションとかシャウトの仕方とか、本格的にロックを聴く前に、我々昭和っ子はヒデキにロックっぽいヴォーカルの基礎を教わっていたともいえる。
歌い方、特にコブシの入れ方とか、本格的なロックヴォーカルとはちょっと違った和な歌謡曲テイストが入ってて、それが取っ付きやすさを醸し出していたんだよね、いま思うと。いきなりホンモノには入っていきづらいからね。周りのスタッフなんかも含めて、ロックっぽさを維持しつつ、なるべくマニアックな方向へは偏らないで、大衆に愛される像ってのを研究し続けたんだろうね。合掌。